
人によって違う私が出てきます
偽りではなく適応です
実家ではぶっきらぼうな末っ子、同級生の前ではクラス委員長、新しいチームでは静かな新人。関係ごとに違う私が出てくる理由と、それが取りつくろいなのか適応なのかを見分ける方法をまとめました。
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連休で実家に帰ると、なぜか十六歳のころの口調が戻ってきます。母に「ご飯もっと食べなさい」と言われると「もういいってば」とぶっきらぼうに返して、部屋に入ってドアを閉めます。次の日、久しぶりに会った高校の友だちの前では、クラス委員長だったころのように待ち合わせ場所を決め、話をまとめています。そして月曜日、異動したばかりのチームの会議では、聞かれたことにだけ短く答える静かな人です。三日のあいだに三人の人生を生きたような気がします。
「私ってすごく取りつくろっているのかな?」と思うかもしれませんが、これはとてもよくある、自然なことです。この記事では、場ごとにどんな私が飛び出してくるのかを何が決めているのか、それが取りつくろいなのか適応なのかをどう見分けるのか、そしていくつもの私とうまく付き合う方法についてお話しします。
どの私が出てくるかは、関係が決めることもあります
同じ人なのに場ごとに違う私が出てくるのには、いくつかはっきりした理由があります。
関係が覚えている私がいます。 長い関係は、その関係ができたころの役割を覚えています。家族にとって私は今も末っ子で、同級生にとって私は今もクラス委員長です。相手があのころの私に話しかけてくると、私も知らず知らずのうちにあのころの性質で返してしまいます。実家でぶっきらぼうになるのは性格が悪いからではなく、古い役割が自然とオンになるからです。呼び方も一役買っています。「末っ子ちゃん」と呼ばれる場と「先輩」と呼ばれる場で、同じ性質が出てくるのは難しいものです。呼ばれる名前が、そのままその場で担う役割を教えてくれるからです。
相手の性質が空いた席をつくります。 おしゃべりな友だちの隣では聞き役になり、静かな友だちの隣では話を埋める役になります。きっちり旅程表をつくってくる友だちと旅行に行けば私はついていく側になり、のんびりした友だちと行けば私が宿や移動ルートを押さえます。私の社会性や組織性が変わったのではなく、相手が空けておいた席を私が埋めているのです。
懸かっているものが大きいほど、慎重な性質が前に出ます。 評価される場や、よく思われたい人の前では、失敗したくない気持ちが大きくなります。感情の振れ幅が広い性質なら、この緊張をいっそう強く感じて、いつもより口数が減ったり、逆に早口になったりもします。新しいチームで静かな私は、もともと静かだからではなく、まだ懸かっているものが多い場だからなのかもしれません。
三日間の場面にいくつかの場を加えて整理すると、こうなります。
| 場 | 前に出た私 | そうさせた力 |
|---|---|---|
| 連休の実家 | ぶっきらぼうな末っ子 | 関係が覚えている昔の役割 |
| 高校の同窓会 | 話をまとめるクラス委員長 | 昔の役割、そしてのんびりした友だちが空けておいた席 |
| 異動したばかりのチーム | 口数の少ない新人 | まだ懸かっているものが多い場 |
| 長く付き合っている恋人の前 | 甘えん坊の私 | 緊張を下ろしてもいい心地よさ |
| 友だちのグループチャット | リアクション担当の私 | みんなが静かなときに生まれる空いた席 |
表にして見ると、どの場にも理由があります。そして、これらの姿はすべて、結局は二つの場のあいだのどこかにあります。人前の私である表の自分と、ひとりのときの私である裏の自分です。関係が楽なほど裏の自分のほうへ、緊張するほど表の自分のほうへ近づきます。つまり私は何人もいるのではなく、二つのキャラクターのあいだの一点に、そのつど立っている一人の人なのです。
取りつくろいか適応か、自分で確かめてみる
取りつくろいはない自分をつくり出すことで、適応は自分の中にあるいくつもの性質の中から、その場に合うものを取り出して使うことです。迷ったときは、次の質問に答えてみてください。
- その場で見せている姿は、もともと自分の中に少しでもあった性質ですか?
- 場が終わったあと、「たくさん動いた」という疲れはあっても、「ばれないかとひやひやした」という感覚はありませんか?
- その姿を親しい人に見られても、それほど困りませんか?
- その姿で相手をだまして手に入れようとしているものはありませんか?
- その場でも、自分がしないと決めていることは守れていますか?
ほとんどが「はい」なら、それは適応です。ボリュームが違っただけで、同じ私です。「いいえ」がいくつもあるなら、その場が自分にない性質をずっと求めていないか、見直してみる価値があります。それは私が取りつくろう人だからではなく、その場が今の私とあまり合っていないというサインかもしれません。
いくつもの私とうまく付き合う方法
- 関係ごとに出てくる私を一行ずつ書いてみます。 「母の前ではぶっきらぼうな末っ子」「同級生の前では話をまとめるクラス委員長」「新しいチームでは観察する新人」のようにです。書いておくと、何人もの私が好き勝手に出てくるのではなく、関係ごとにかなり一定したパターンがあることが見えてきます。そのパターンこそが、私らしさです。
- 抜け出したい昔の役割は、一文から変えていきます。 関係が覚えている役割は、一度には変わりません。でも、小さな一文なら変えられます。「もういいってば」の代わりに「お腹いっぱい、ありがとう」と言ってみるのです。新しい一文が何度か積み重なると、相手が覚えている私も少しずつ変わっていきます。同窓会でいつもまとめ役なのに疲れているなら、今回は場所決めをほかの友だちに任せてみるのも同じ方法です。
- 気に入っている私が出てくる関係をのぞいてみます。 のんびりした友だちといるときに、てきぱき計画を立てる自分が好きなら、私は組織性を使うのを楽しめる人なのかもしれません。どの関係が自分のどんな性質を引き出してくれるのかがわかれば、その性質をほかの場でも少しずつ使ってみることができます。
- 新しい場での私を、最初の姿で判断しません。 新しいチームで静かな私は、まだ観察中の私です。何週間かたって気楽な人が一人二人できれば、別の性質が出はじめます。「私は新しいチームで存在感がない人」と先に決めつけないでください。
- エネルギーが減る場と満たされる場を分けてみます。 グループチャットでリアクション担当をした日はなぜか疲れて、長く付き合っている恋人の前でくつろいでだらけた日はかえって元気が出るなら、前者は表の自分をたくさん使う場で、後者は裏の自分で休む場です。エネルギーが減る場が集中した週には、満たされる場を一つくらい意識して入れておきましょう。
仕事の場で出てくる私がとくに見慣れないなら、仕事のときの私は、なぜ普段の私と違うんだろうで、その場ならではの強みを別に取り上げています。
こんなふうには読まないでください
- 場ごとに違うからといって、芯がないわけではありません。 性質のボリュームを変えることと、自分の基準を変えることは別のことです。ボリュームは場ごとに違っても、しないと決めたことはどこでも同じでいられます。
- 「本当の私」を一つ選ばなければならないという意味ではありません。 実家の末っ子も、同窓会のクラス委員長も、みんな私です。一つだけを本物と決めてしまうと、残りの私を恥ずかしく思うようになります。
- 居心地の悪い関係で出てくる私が、私のすべてという意味でもありません。 ある人の前でだけとくにとげとげしくなるなら、それはその関係のパターンであって、私の本性の証拠ではありません。
- 適応だからといって、何でも我慢しなければならないという意味でもありません。 適応にもコストがあります。コストがずっと大きいなら、自分を変えるより場のほうを調整するのが正しいこともあります。
何人もの私は、一人の人の幅です
三日のあいだに末っ子、クラス委員長、新人を行き来したのは、ぶれていたのではなく、それだけいくつもの場を生き抜いたということです。末っ子も、クラス委員長も、新人も、結局は一人の人の性質から出てきた姿です。どの関係がどんな私を引き出すのかがわかれば、その変化を疑う代わりに、選んで使えるようになります。
無料の性格テストは、人前の私とひとりのときの私を分けてお見せします。関係ごとに違う私が、二つのキャラクターのあいだのどのあたりに立っているのかを見当をつける出発点として使ってみてください。二つのキャラクターの距離を性質ごとに読む方法は、表の自分と裏の自分、私はなぜ人によって違う自分になるのかにまとめてあります。
この記事は自己理解を助けるためのもので、性格を決めつける診断ではありません。
