
人にはやさしい私、一人だと疲れる私、いい子症候群かも?
外ではいつもやさしい人なのに、一人になると理由もなく疲れていませんか。やさしさが役割として固まると、裏の自分は好みと、居心地の悪い感情の出口を見失ってしまいます。
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ランチのメニューを決めるとき、「私はなんでもいいよ」が先に出てきます。会議で自分の意見がひっくり返されても、笑って「そっちのほうがいいですね」と言います。妹がまた約束を延期しても、「大丈夫、また今度ね」と返します。一日中、誰ともぶつからなかったのに、家に帰って靴を脱いだ瞬間、全身がずしりと重くなります。そしてときどき、コップを落としたようなごくささいなことで、急に涙が出たり、いらいらがこみ上げたりします。
外では「やさしいね」とよく言われるのに、当の自分は、自分が何を好きなのかよくわからない感じ。この記事では、よく「いい子症候群」と呼ばれるこの心を、少し違う角度からのぞいてみます。断れないという問題というより、やさしさが一つの役割として固まったとき、裏の自分に何が起きるのか、というお話です。
いい子症候群は、病名ではありません
「いい子症候群」は医学的な診断名ではなく、人の期待に合わせるために、自分の気持ちを何度も後回しにしてしまう習慣を指す、日常の言葉です。子どものころから「いい子だね」「手のかからない子」という言葉で認められてきた人には、なじみのあることが多いものです。
大事なのは、名前より構造です。やさしくふるまうこと自体は問題ではありません。問題は、やさしさがいくつもある姿の一つではなく、「自分という人の定義」になってしまったときです。そうなると、やさしくない姿、つまり嫌だという気持ちや、寂しさ、怒りのような感情を出すことが、ただの感情表現ではなく「自分らしくないこと」のように感じられてしまいます。
しかも、役割は一人で固まるわけではありません。周りの人たちも、いつのまにかその姿を基本の設定だと思うようになります。だから、たまに一度「私はちょっと嫌なんだけど」と言うと、ほかの人が言えばごく普通だったはずのその言葉が、「今日なにかあったの?」という反応になって返ってきます。その反応が負担で、次はまたやさしいほうを選び、役割はもう一枚、硬くなっていきます。
役割が固まると、裏の自分は二つのものを失います
外の私(表の自分)がいつもやさしい役を引き受けていると、内の私(裏の自分)から静かに消えていくものが二つあります。
一つ目は、好みです。 「なんでもいいよ」を長く言い続けていると、本当に何を望んでいるのかわからなくなります。好みを口にする機会がないので、好みを感じる感覚もぼやけていきます。メニューや旅行先、週末の予定のような小さな選択の前で途方に暮れてしまうのは、優柔不断だからではなく、その感覚を長いあいだ使っていなかったからです。
二つ目は、居心地の悪い感情の出口です。 外で飲み込んだ寂しさや怒りは、消えずにたまっていきます。そして一人でいるとき、誰もやさしい役を求めない瞬間に、一気にこみ上げてきます。コップ一つ落としただけで涙が出るのは、そのコップのせいではなく、それまでたまってきたもののせいなのです。
この構造は、協調性が高い肌理でとくに生まれやすいものです。相手の期待をすばやく読めるので合わせやすく、合わせると褒められるので、その役割がどんどん硬くなっていきます。そこに感情の振れ幅が広い肌理まで重なると、内側で感じている感情は大きいのに外にはまったく見えないので、二つの席の距離はさらに遠くなります。一人のときにとくに疲れてしまうのは、その距離の分だけ踏ん張るのに使った力が、一気に感じられるからです。
自分で確かめてみる
次の文のうち、「私のことだ」と思うものがいくつあるか数えてみてください。
- メニューや待ち合わせ場所を決めるとき、「なんでもいい」「あなたの都合のいいところで」が先に出る。
- 怒っていることにその場では気づかず、しばらくして一人になったときに気づく。
- 「本当にやさしいね」と言われると、うれしい反面、どこか息苦しい。
- 身近な人ほど、寂しかったことを言いにくい。
- 誰かが自分にがっかりしたかもしれないと思うだけで、眠れなくなる。
- 一人でいるとき、ささいなことで急にぐっとこみ上げたり、いらいらしたりする。
三つ以上なら、断る技術より先に、裏の自分の声を取り戻す練習が必要かもしれません。断ること自体が難しいなら、断れない性格でその部分を別に取り上げています。
やさしい言葉の裏で、飲み込んだ言葉
最初の場面のやさしい言葉をもう一度見てみると、その裏には、裏の自分が言いたかった言葉が一つずつくっついています。
| 表の自分が言ったこと | 裏の自分が言いたかったこと | 二つを混ぜた一文 |
|---|---|---|
| 私はなんでもいいよ | 今日はあたたかいスープものが食べたい | どれでもいいけど、今日はスープもののほうがちょっと気分かな |
| そっちのほうがいいですね | 私が出した案の、この部分は残したいです | いいですね。私の案のこの部分だけ、一緒に見ていただけますか? |
| 大丈夫、また今度ね | 二回目だから、正直ちょっと寂しい | 大丈夫。そのかわり、次はもう少し早めに教えてね |
右側の言葉は、失礼ではありません。やさしさを捨てなくても、裏の自分を一文くらい混ぜられるということを示しているだけです。
裏の自分を取り戻す五つの練習
- 小さな好みから口にしましょう。 リスクがほとんどない場面から始めます。カフェで「あなたと同じもので」の代わりに自分が飲みたいものを選ぶ、映画を決めるときに観たいものを一つ先に挙げてみる、といった具合です。相手が別のものを望んだら、それに合わせてもかまいません。目標は勝つことではなく、自分の好みを一度感じて、口にしてみることです。
- 一日の終わりに、飲み込んだ言葉を一行書きましょう。 寝る前に、今日心の中で飲み込んだ言葉をメモ帳に一行だけ書いてみてください。「会議のときのあの意見、本当は私のほうがよかったのに」。誰かに見せる必要もありません。感情に名前がつくと、とんでもないタイミングで爆発することが減っていきます。
- 予定表に「したい」「義務」「顔色」の印をつけましょう。 今週の予定を見ながら、したくてすることなのか、しなければならないからすることなのか、顔色をうかがってすることなのかを横に書きます。「顔色」の欄がとくに多いなら、来週はその中の一つだけ減らしてみてください。顔色をうかがって行く同窓会なら、最後までいずに一次会だけ参加して席を立つ、というようにです。
- 信頼できる人に、小さな寂しさを一度伝えましょう。 関係が揺らがない人を選んで、「さっきのあの言葉、ちょっと寂しかった」と言ってみてください。思っているより、「あ、そうだったんだ、ごめんね」くらいで軽く終わることが多いものです。やさしくない言葉を口にしても関係は大丈夫なのだと、体で経験することが、この練習の核心です。
- やさしさが必要ない場所を一つつくりましょう。 誰も自分に気づかいを期待しない場所、たとえば一人でする運動や、はじめて行く趣味の集まりでは、自分の好みのままに動いてみてください。やさしい人としてではなく、ただ何かが好きな人としていてみる時間です。
こんなふうに読まないでください
この記事は、やさしさを捨てようという話ではありません。人を先に思いやれる心は確かな強みで、そのおかげでそばにいて安心できると感じている人もたくさんいます。変えたいのはやさしい自分ではなく、やさしい自分だけが許されていた構造です。
誰かのせいにする必要もありません。子どものころに褒められていたやり方が影響したことはあるかもしれませんが、今やることは、原因を探して責めることではなく、裏の自分に少し場所を空けてあげることです。この記事は自己理解を助けるためのもので、心理診断の代わりにはなりません。自分が何を感じているのかさえわからないむなしさが長く続いたり、一人のときに崩れてしまう日が多かったりするなら、専門のカウンセラーとゆっくり話してみるのもいいと思います。
やさしい私も、疲れた私も、どちらも私です
外でやさしい私も偽物ではないし、一人で疲れている私も大げさなわけではありません。どちらも私です。ただ、片方だけが話せて、もう片方はいつも飲み込まなければならないなら、その距離の分だけ疲れてしまいます。裏の自分が一文ずつ外に出られる場所ができれば、やさしさも義務ではなく、自分で選んだ姿になります。二つの姿がなぜ一人の中に一緒にあるのかは、表の自分・裏の自分の意味でさらに読むことができます。無料の性格テストでは、人前の私とひとりのときの私を、5つの性格特性で別々にお見せします。協調性で二つの状況の距離がどれくらいあるかを見れば、自分がどこで疲れているのかが、もっとはっきりしてくるはずです。
